心身のバランス 4

数時間後、少量の水をのんだのですが、やはり吐いてしまいました。


きょうは一切、のみくいはしまいときめました。


・・・その日、以前お世話になった医師から健康状態をたずねる電話がかかってくるまで、わたしは不快の原因がわからなかったのです。


とりあえず、けさの嘔吐について報告しましたが、なぜきょうにかぎって担当医から電話があったのかが不思議でした。


「きょうはあなたが心臓発作を起こしてからちょうど1年目です」


・・・と医師はいいました。


「ご存じでしょう?痛みの記念日なんですよ」


・・・うっかりしていました。


この50年間、ある症状が起きた日と同じ日付の日に再発するというケースに驚かされたことが何度もありました。


わたし自身に起こったのはそれがはじめてでしたが、そんな患者は数えきれないほど診てきました。


なぜとつぜん症状がでたのかがわからないという患者に、カルテをしらべたわたしはよく「きょうは記念日だよ」といったものでした。


そんなとき、患者はこういいます。


「そうか。すっかり忘れていました」


・・・病気の記念日はよかれあしかれ、過ぎ去った苦痛の記憶と最初の発病からこんにちまでの生活のあれこれを思いださせてくれます。

心身のバランス 3

たしかなことはわかりませんが、そのことばはおそらく患者の幼児期の経験につながるものであり、だれかに、どうしてもできないようななにかをやれと強要されたことにたいする反応だったのでしょう。


あたまのゆれはそのときの否定的な感情の表現でした。


・・・そして、ノートにそのことばを書きつづったとき、患者の症状は消えていたのです。


からだに症状がある人は、自分の感情生活をじっくりとふり返る必要があるということを覚えておいてほしいのです。


先日の朝、軽い不快を感じて目がさめました。


ともかく起きて、なにかたべようと思いました。


空腹を感じてもいたからです。


コテージチーズを小さじ一杯だけたべ、椅子に座っていました。


5分後、わたしは激しく吐きはじめました。


内臓がでるかと思うほどの激しい嘔吐でした。


心身のバランス 2

わたしの患者のなかでもとくにめずらしい患者がいました。


あたまの動きが自分で制御できない、若い女性です。


まるで人形のように、あたまがたえず左右にぐらぐらゆれているのです。


もちろん、多くの医師に診てもらいましたが、だれも助けてくれなかったのです。


・・・残念ながら、わたしも助けることができなかったのです。


しかたなく、運を天にまかせる気持ちで例の記憶をさかのぼる方法をすすめました。


症状にはとくに変化がなかったにもかかわらず、その女性は毎週5、6ページずつ、誠実に書いては焼き捨てていました。


ところがある夜、どうしても書かなくてはという思いがつのってきて、夫に夕食の準備を頼むと、せかされるように2階にかけあがりました。


寝室の机に向かうと、その女性は同じことばを執拗にくり返して書きはじめました。


「できない。できない。わたしにはできない・・・」


いつものように数ページを焼き捨てたあと、キッチンにおりて行きました。


夫は妻のあまりの変わりように呆然としていました。

心身のバランス

わたしは、心身のバランスが崩れている人によくすすめる方法があります。


・・・それは、夜、寝る前に、部屋を暗くして机に向かい、自分の個人史をさかのぼって書きつづるというものです。


ほとんどの人にとっては、個人史を生まれたときから書き起こすのは無理な話ですが・・・


現在から書きはじめて、記憶の薄い層をじょじょにはがしていくことならできます。


だから、わたしは記憶をさかのぼる方法をすすめています。


1ぺージ書きおわったら、それを読みなおさずに破いて床に捨て、つづきをまたつぎのページに書きはじめます。


夜もふけて、疲れてきたら、破り捨てたページを残らず集めて、安全なところで火をつけ、それが燃えつきていくのを見つめます。


それをしばらくの期間、必要と思うだけくり返すのです。


・・・この方法は、わたしの経験では、脳の奥のほうに住みつき、からだの代謝の邪魔をしていた古い想念のパターンと直面するのに役立つのです。


ウォーターゲート事件 4

この告白によって、果たせるかな、事件が法律顧問のジョン・ディーンやジョン・ミッチェルらホワイトハウス上層部と関連していることが明らかにされました。


同時に事件とそのあとにつづいたもみ消し工作が暴露されました。


4月には大統領補佐官のH・R・ハルデマン、ジョン・アーリックマンが起訴され、事件は核心に入りました。


『タイム』誌はきわめて保守色の強い雑誌です。


いつも時の大統領の側に立っています。


1973年1月には『タイム』毎年恒例の"マン・オブ・ザ・イヤー"(年男)に、ニクソンとキッシンジャーを選ぶという感覚を少しも恥じていません。


しかし、この『タイム』もライバルの『ニューズウィーク』に刺激されて、ようやくジョン・ディーンをとらえて、ヒットを飛ばしたのです。

ウォーターゲート事件 3

夜のニュースは22分ですが、ウォーターゲート・ニュースの報道に14分以上をまとめて割いたことは異例でした。


この反響は大きかったのです。


追いつめられた大統領CBSの報道によって、ウォーターゲート事件は、はじめて真の意味で全国的なニュースになったのです。


しかし、案の定ホワイトハウスからは猛烈な圧力がかかってきました。


年老いて気弱になったウィリアム・ペイリICBS会長は、これですっかりおじけついてしまいました。


事件は翌年1月、5人の最初の侵入犯と、あとで捕まった鉛管工班の2人(ハントとリディー)彼らを"ウォーターゲート・セブン"というの裁判がはじまって、しばらくあとまで目立った進展はなかったのです。


7人とも裁判中は、有罪は認めたが黙否を続けていたからです。


しかし、判決が下るという3月になって、裁判長は主犯格のマッコードから一通の手紙を受け取りました。


これがきっかけとなって、事件は急展開します。

ウォーターゲート事件 2

誇り高い『ニューヨーク・タイムズ』はおっとりとしていて、本格的に事件に取り組み出したのは、その年の11月からでした。


しかし、ウォーターゲート事件はなかなか手ごわかったのです。


ハルバースタムも書いているように、


「(この事件は)、ビンのなかに閉じ込められたような話だった。


舞台裏の動きばかりで、表面的には何も起こっていないように見える。わかりにくいことが多いのだ。


目に見える現象はほとんどない」。


・・・ですからNBC、CBS、ABCの3大テレビは、大統領選挙も迫っているというのに、慎重に沈黙していました。


NBCにしても、この事件にニュースで触れたのは、9月なかばから11月の投票日までの間に、合計たったの41分21秒にすぎませんでした。


ABCも同じでした。


CBSは最も熱心でしたが、はじめて本格的な報道を流したのは選挙日も間近の10月27日でした。

ウォーターゲート事件

組織の指揮には、前司法長官のジョン・ミッチェルが当たっていました。


また鉛管工班は、報道関係者や政界関係者その他に対するきわめて広範な電話盗聴、不法侵入、手紙の開封などを行うための、ホワイトハウスの秘密調査組織でした。


こうして事件にはホワイトハウスの高官が含まれ、ひょっとすれば大統領自身にも及ぶ大きな背景があることがわかってきました。


『ワシントン・ポスト』社では、にわかに緊張が高まってきました。


前記の若い2人の担当記者ばかりでなく、そのデスク、編集部長、社会部長、さらに総指揮をとる編集主幹、これらの人びとは一体となってウォーターゲート事件に取り組むことになりました。


『ポスト』が先駆け、最後までこのリードを維持してゆくことになったが、単に地の利ということだけでなく、このような人の和があったことを見逃してはなりません。


他社もだまっていたわけではありません。


ニクソンにとって何より打撃だったのは、彼の選挙区の『ロサンゼルス・タイムス』が間もなく『ポスト』のあとを追いはじめたからです。

和のイデオロギー 4

「疑似論理」というのは、一般に、自己の固定観念と現実とのズレから生じる心理的な不協和を否定ないし減少させようとするとき用いられる自己説得の理屈です。


この場合、固定観念とは、地域社会の本来の姿は利害や意見の一致した「和」の状態であり、地域社会では「みんな仲良く、みんな一緒にやっていけるはずである」という想定です。


それは「和をもって貴しとなす」という古来からの秩序原理と結びついています。


「和」は既存の秩序、つまり乱れていない状態ー治まっている状態に引照されてイメージされています。


したがって、もし現実に、地域社会に分裂や争いが起ころうとしたり、現に起こっているならば、それは既存の秩序が撹乱されるからであり、既存の秩序を乱す「撹乱者」がいると考えられるのです。


そこで、乱れた秩序を回復するためには、その撹乱要因を排除すればよいことになります。


排除すれば、もとの秩序が回復されます。


そのとき本来、地域にあるべき本然の姿が現れるというわけです。


これは一種の本質顕現説でもあります。


排除の方法は、既存の秩序を乱すような行動を収拾する「飴と鞭」による和の工作です。

和のイデオロギー 3

本音の表出は、通常は、しぐさと言葉というシンボル(象徴)を媒介にして他人に伝えられるから、この意味で建前化します。


また、情動の発散であれ、利害の主張であれ、信条の告白であれ、あまり露骨な本音の表出は社会のなかの個人としては品性にかかわるから、この点でも本音の建前化は起こりうるのです。


「自治という言葉は『おのずから治まる』と読めるし、『みずから治める』とも読めます。


もし人生の理想からいえば、特に多くの技術工夫を加えず、おのずから治まっている社会を持つことが最も望ましいでしょう。


・・・しかし、それは人口密集し、社会の各要因が各々異なった利害関係を有する近代社会において到底実現し得べくもない」


・・・というのは、すでに戦前の昭和12年、前田多門氏が『東京市町会時報』に寄せた「町会自治雑感」という小文の一節です。


「特に多くの技術工夫を加えず、おのずから治まっている社会」が、事実として、多様な利害と意見が交錯する現実の地域社会においてありえないにもかかわらず・・・


それでも「おのずから治まる」という自治観が成立するには、地域社会では利害や意見は本来一致するはずであると考えられているか、一致しなくとも争うことは悪いことである、争いを起こしてはいけないと考えられているからではないかと解釈できます。


・・・・これは心理学的には一種の「疑似論理」であるといえます。